大兄弟あるある。それは定期的に開催される兄弟喧嘩だ。
歳が近い兄弟の間で喧嘩することが一番多かった。
きっかけは些細なことで、例えば、お風呂に入る順番で揉める、お菓子を取り合って揉める、
約束が守れず揉める、構って欲しくてちょっかいを出していたのに本気で嫌がれて揉める、
機嫌が悪くて八つ当たりをしてしまったり、ソファーを取り合って揉めたり…まぁそんな感じだ。
どんなに仲が良くても喧嘩中は相手のことが憎くて仕方がない。いかに相手の傷つくことを言ってやるか、
手を挙げることはNGだ(いや多少は平手打ちをやり合っていた)言葉の喧嘩が多かった。
つまり口が達者な方が喧嘩に強い。ああ言えばこう言う。喧嘩している相手はもちろん、親すらも言い返せなくなったら勝ちだ。
もうお分かりかもしれないが、私は喧嘩が強かった。相手が言い返せなくなるまで喋り続け、とうとう泣くか謝ってきたら勝負はついた。
自分より下の兄弟が喧嘩している時は「うるさいな〜」と言ってあしらっていた。
基本どちらが悪いとかないからだ。
ただ、兄だけはケンカのスタイルがちょっと違った。喧嘩というより一方的な嫌がらせという方が近い。
理由もなく暴言を吐かれたり、歩いているときに足を引っかけられたり、自分の罪をなすりつけたり。
兄が高校に上がるとそれまでとは比較にならないほどの反抗期がやってきた。
その時、兄弟とはほとんど会話することはなく、親にはいつも暴言を吐いて当たり散らし、
兄の部屋で複数人の友達と深夜まで大騒ぎしていた。親も最初の頃は叱っていたが、しばらくすると何も言わなくなった。
本当にひどい時だけ父が「家から出て行け」と兄の友達を追い払った。
そんな兄を見て育ったからか、私を含む他の兄弟は反抗期は来るもののそこまで強いものではなく、
みんな一度は通るよね。ぐらいのレベルだったと思う。
兄は高校を中退すると、授かり婚で結婚した。その頃から、明るく兄弟想いの一面が見えてきて、私の中で兄への印象が変わった。
後から聞いた話なのだが、下から1・2番目の兄弟にとって兄はほとんど家にいない事が多かったので、
兄というより叔父といったような感覚に近かったようだ。
さて、この破天荒な兄は兄弟とのコミュニケーションがとても苦手だ。
一番歳の近い私や、同性で次男の弟には、おそらくなんの抵抗もなく話ができるようなのだが、
妹二人と一番下の弟への接し方がよく分からないのだと思う。
仲良く話したいだけなのにわざわざ気を引くための嘘をついたり、
自己流の根性論を永遠に語ったりした。
それでも兄を嫌うことはなかった。みんななんだかんだで優しく話を聞いていた。
あの事件がおきるまでは…
ある日兄は酔っ払ってとうとう弟に手をあげてしまった。
「そんな貧弱でいいのか?男だったらもっと強くないとダメだ。俺が鍛えてやる。」
といって、一方的に殴りかかってきたそうだ。
この時兄はほとんどアルコール依存症のように目が覚めるとすぐにアルコールを摂取するような日々を送っていた。
きっとこの日のことも翌日には忘れていたのかもしれない。
兄の面倒くさいところも少し暴力的な一面もみんな知っていたし、
兄が離婚して精神的に参っていたことも知っていた。だからそれまでは、兄が壁に穴を開けようと、
酔っ払って周りのみんなに暴言を吐いても、みんな兄を信じて許していた。また兄妹思いの兄に戻ってくれるよね?と。
けれど兄の自己中心的な行動はエスカレートしていき、そのうち兄を避ける兄妹も増えていった。
そんな時に起きた事件だった。
少し自宅を離れた小一時間の間に夜の仕事から帰ってきた兄は、弟にいつもの説教を始めたそうだ。
そして徐々に感情的になっていき、突然暴力に走ったらしい。
家の中はぐちゃぐちゃで倒れたストーブからは灯油がこぼれていた。
立ち尽くした弟とは対照的に、兄はテーブルの上で眠っていた。
つい先ほど弟のために買ってテーブルに置いていたかつやのカツ丼は床一面に広がった灯油の上に転がっていた。
リビングの扉を開いた瞬間広がったその光景に頭が混乱して唖然とする私と2番目の弟と母、そして私の旦那。
この日は無事に結婚式が終わって初めて旦那と2人で実家に帰省したお正月休みだった。
「あぁそうか。兄にとってはどうでも良い事だったのか」悲しい気持ちと一緒に絶望が広がって、体と意識が別々になったような気がした。
旦那には本当に申し訳なかったと心から思っている。
その後、目覚めた兄は悪びれる様子もなく2番目の弟にも喧嘩を持ちかけ、一通り騒いだ後また眠った。
カオスな時間が流れていた。
あれから兄とは連絡を取らないまま5年ほど経つ。
いや実際には兄から何回か連絡があった。けれどどれも私が電話に出ることはなかった。
ずっと冷戦のような喧嘩が続いている。
今はお酒をやめて、また頑張りたいと兄は言っているらしい。
それでも私も弟も兄の事をまだ許せていない。
弟への暴力はあの後も何度かあり、一番最悪だったのは花壇の手入れ用に使っていた釜を弟に対して振り回した事だ。
何があっても自分の大切な人に暴力を振るうのは許せない。実際に兄の暴力に抵抗し続けた弟2人は本当に怖かったと思う。
兄の事を許せないのは当然だと思う。
兄はまだ「ごめんね」を言えていない。「ごめんね」で解決するには遅すぎるけれど、
私は今でも心のどこかでは兄のことを理解したいと思っているのかもしれない。
兄弟喧嘩が下手な兄。兄弟に誰よりも頼られたかった兄。
信頼を取り戻すには長い時間が必要だが、まずは「ごめんね」の1言が言える日が来ることを願っている。
「もういいよ」といつか笑顔で言いたいと、きっと私たち兄弟はみんな思っているから。
兄弟喧嘩のすすめ。
兄弟喧嘩で暴力は絶対だめ!口喧嘩した時はその日のうちに仲直りすること。
兄弟喧嘩をしている兄妹を見かけたら、ある程度放っておきましょう。でも手が出たら止めること。
悪いことしたら「ごめんね」と素直に謝ること。許してくれるまで謝ること。
「いいよ」と許してくれたら、喧嘩する前よりもずっと仲良しになること。
何歳になっても兄妹を大切にすること。
喧嘩するほど仲が良いというけれど、喧嘩のルールを忘れてはいけない。
喧嘩する度に相手の事を知って、理解し合うための喧嘩であるために、
親しき仲にも礼儀あり。
兄弟であってもお互いの事を1人の人間として尊重して、1人1人の個性を大切にしていくことが
兄弟仲良くいられる秘訣だと思う。
兄の良い所もたくさん知っている。
長い時間をかけてでも、また兄弟みんなで騒げる日々が来ますように。
願いのような手紙のような夢のような話。
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